『ハーモニー』(伊藤計劃/ハヤカワ文庫JA)
読みました。初伊藤計劃。
序盤~中盤はめちゃめちゃ面白かった(未来描写が凄くいい)んですけど、後半~終盤はイマイチかな……。
「情報量が極端に多い作品は流し読みになる」癖のせいもあるけど、主題であるところの意識とハーモニクスによるその消失というのが納得し難くて。
脳内で訴えられる様々な欲求が不合理に競合して決定が下される営み全体を意識と呼称し、ハーモニクスで完全な合理性がもたらされることでその意識が消失する、みたいな論理だったと思うんですけど、なんていうか、それは意識か? 意識と呼ぶのは妥当なのか? って感じ。
ハーモニクス(社会的リソースとして満たすべき欲求が常に最優先される状態?)世界では人間は個々の性格の差というものがなく、社会性昆虫の各個体みたいな(よく知らないので雑な喩えだけど)存在として動くというなら、それを嘆くことはわかるけどやっぱ「意識」じゃないんじゃないかなと。
意識が消失した人間を想像したときにわかりづらいのは、彼らにも感情はあるものとされているらしいことでしょうか。
御冷ミァハはレイプされることに苦痛や恐怖を感じていたからそれを逃れるために脳が意識を芽生えさせた(正直それもよくわからなかったけど)わけだし、意識のない状態の人間も泣き笑いはするだろうと主人公が述べているし。
完璧な合理性を持った人間が泣くとか笑うとかするんだろうかとか、感情といったものにどういった反応をするのが完全に合理的と言えるのか、同じ体験に対して個々に発生する感情には差異があるのか、差異があるとしたら、それは意識とはまた別なのかとか。
意識の消失を内面的な個性の消失という意味で捉えているだけならともかく、しかしラストのあの描写とか、いわゆる俗な意味での「心」が消えてなくなるかのような印象があるし。
そういうわけで、めちゃめちゃ凄いところもたくさんあったけど最終的にはよくわからないって感じでした。
百合かどうかと言われるといやあんまり……。
「読後感が似ている」と言われた拙作