サンライトノート

主に映画や小説、漫画等の感想を一定量吐き出したい欲を満たすためのブログです。本が出るとかなったら告知もするかもしれません。

やがてロマンティックになる/『やがて君になる』感想

仲谷鳰の百合漫画やがて君になるを読了した。連載当時に3巻まで読んでいたのだけど、ずっと積んでいたものを完結後数年を経た今になって通して一気読みしたのだ。

 

 

感想は、総じて言うと面白かった

恋愛感情がわからない小糸侑と、亡き姉の模倣で皆から愛される七海燈子の、「君だけは私を好きにならないから」という理由で始まる倒錯した関係を軸に、七海が姉ではない素の自分の価値を認めることで、愛さないことを求めていたはずの小糸に愛を求めるようになるストーリーラインはテーマと恋愛の接続が巧みだ。始まった当時は意味がわからなかった作品名も終わってみるとまさにそういう物語だったなと思わされる。

その上で言うのだけど、物足りない。

悪いわけではなく、きれいに落ちるところへ落ちてはいるのだけどどうにも傑作とは思えなかった。小粒に終わったという感じだ。それは何故なのか。

槇の観測者気取りが気持ち悪くてムカつくとか同性愛漫画で定番の日陰者意識を度々けっこうなページを使って描くけど七海と小糸の問題って同性愛であることと関係ないのにやってもノイズでしかなくないとか不満はあるのだけど、最大のものは主人公・小糸侑のキャラクター性についてだ。

【小糸侑はなぜ恋をしたのか】

当初の小糸侑は恋愛感情というものに全く実感が持てない、いわゆるアセクシャル的なキャラクターとして描かれていた。


しかしアセクシャル仲間の槇が最終回で描かれた大学生時点でも恐らくそのままなのに対して、小糸は結局七海に恋をしている。小糸はロマンティック(他者に恋愛感情を持ち得る人のことらしい。この記事のためにググって知った)で、単に初恋がまだなのをアセクシャルだと思っていた、ということだろう。

彼女の恋心の萌芽と思しき瞬間が描かれているのは3巻の体育祭で走る七海を応援している場面でのことだ。

それまでも小糸は七海と協力関係を結んでいたし、七海のことを恋愛関係ではない先輩として好きだったはずだが、この時以降、小糸の七海への思いは恋心へ傾いていったように思う。

理由を敢えて言うなら、「走る姿がなんかよかったから」ってところだろうか。

は?

いや、現実ならむしろごくごく当たり前かもしれない。人間性への好意+性欲というのは少なくとも初期の恋愛感情の大部分を占めるものだろう。中学時代仲の良かった男子はダメで七海はよかった理由も、小糸は性嗜好としてレズビアンだが恋愛は異性とするものと思い込んでいたから機会がなかった、みたいに解釈することもできると思う。

でもフィクションとして、恋がわからないことをアイデンティティにしてきたキャラクターがついに恋に落ちるきっかけが「何かよかったから」なのは面白みがなさすぎではないかと思う。

何故面白みがないかと言えばロジックが欠けているからだ。

筆者は基本的に問題提起とそこへのアンサー双方のロジックが明示され、ロジックによって解決する作品が好きだし、この作品でも七海の問題へのアンサーはロジックが美しかったように思う。

しかし、小糸が恋をできた理由はたまたまに過ぎない。たまたま七海が小糸の恋愛感情のスイッチを入れる人間性なり容姿なりをしていただけ、これまでの小糸は機会に恵まれなかっただけ、それは現実ならよくてもフィクションではよくないのではないか。ここにちゃんとロジックさえあればちがったのに。

【小糸侑はどういうキャラクターであるべきだったか】

そうは言っても小糸の問題を「恋がわからない」に設定している以上は、「たまたま恋を知る」がアンサーになるのはしかたないよなとも思う。

アセクシャルをある種の病気とみなして治療というロジックで解決する、みたいなのはやってはならないことだし、槇のように「恋がわからなくたって別にいい」が主人公のアンサーでは恋愛漫画にならない。

個人的に思うのは小糸が恋をしない理由を「わからないから」ではなく、本人が明確に恋を嫌っているだとか恋愛感情にフタをしているだとか、ロジックで解消可能な問題にすべきだったのでは、ということだ。

小糸が恋をしない理由の背後にあるものを七海の持論である「好きって言葉は束縛」などと絡めてドラマを発生させることもできただろうし、七海が小糸や周囲の影響で自分を受け入れていき、一方で小糸も七海の影響で恋愛への嫌悪なりブレーキなりを解消され、恋ができるようになる、という流れにすれば物語のロジックにまとまりが生まれ(筆者のような読者としては)より楽しめる作品になっていたんじゃないだろうか。

 

【恋ができないという問題について】

この作品が始まった当初、(具体的に誰のなんという記事かは忘れたが)「主人公がアセクシャル設定の漫画で恋ができてハッピーエンドというのはひどく感じる。恋ができないまま幸せになれる主人公を描いてもらえないだろうか」みたいな記事が書かれたのを覚えている。

この記事で言われたパターンは劇中だと槇が該当し、主人公小糸はそもそもアセクシャルではなかったため、記事が危惧するような暴力性からは逃れられているが、これはこれで「みにくいアヒルの子は白鳥のヒナでした」的な逃げとも言えると思う。

筆者が考えた、小糸侑を恋ができないのではなく明確な理由を持った恋愛忌避者に設定するというのはある種妥協案でもある。

小糸侑が槇同様本当に七海への恋愛感情を持たないままで七海を救済し自身のあり方に決着がつけられたならそれが一番美しいし、他にない女性同士の関係を描いた百合漫画になっていたかもしれない(面白いのかは甚だ疑問)。