サンライトノート

主に映画や小説、漫画等の感想を一定量吐き出したい欲を満たすためのブログです。本が出るとかなったら告知もするかもしれません。

『BLACK SUN』の和泉葵は何がダメだったのか

今回も『仮面ライダーBLACK SUN』の話だ。

『BLACK SUN』の無限のツッコミどころの中で最も槍玉に挙げられやすいのが差別周りではないかと思う。

怪人の設定とかはあくまでフィクションとしての粗だが、差別は「現実」に属するからだ。

現実の差別エピソードのパロディが多数登場するのもそうだし、9話の「画面の向こうでシラケた顔してこれを見てるあなた」という言葉は作中においては動画視聴者に向けてだが、間違いなくBLACK SUN視聴者をメタ的に指している。

現実の問題である差別を取り扱いながら描き方が極めていい加減なことでBLACK SUNは顰蹙を買った。安倍麻生パロも同様かもしれない。

それはもう散々言い尽くされているし、自分はパロディ元と思しき現実の在日朝鮮人差別や黒人差別について全く詳しくないし、だから言えることなどないと思ったが一つ考えたことがあるので書いておこうと思う。

それは本作の主人公・和泉葵についてだ。

【和泉葵の立ち位置と変遷】

本作は和泉葵が国連でのスピーチで怪人との共存を訴える場面から始まる。

怪人の少年とも友達で怪人差別撤廃を訴えるデモにも参加し、差別主義者ともバチバチにやり合う。

彼女は1話で怪人に襲われかけて南光太郎と出会い、怪人にされた父親に殺されかけ、自身も怪人に改造され、怪人の友達を殺され、9話では怪人誕生の真実を暴露すると共に改めて「差別は生まれてきた喜びを奪う行為だ」と演説し、10話での光太郎の死を経て、在日外国人を始めとする差別される子供たちに殺人の技術を仕込んでいる……という反応に困る姿を描かれて物語を終えることとなった。

和泉葵の物語上のポジションは『脳内お花畑の理想家』だろう。

現実が見えていなかった理想家が現実を知り……というのは古今東西よくあるフォーマットだろうし、嫌な言い方をすれば『世間知らずのメスガキに現実をわからせたい』という欲望もあるのだと思う。

ストーリーライン上、実際に「現実を知った」と思しき経験をする。そのことで何かが変わったのか。答えとしては何も変わっていないと感じた。

葵の何が変わらなかったのか、何故変わらなかったのか、どう変わってほしかったのかというのがこのテキストのテーマだ。

【差別はダメ、の先は?】

葵のスタンスは基本的に「差別はダメ」一辺倒だ。

差別はダメなのだが、葵の問題点はダメとひたすら叫ぶだけで止まっていること、差別をなくすためにどうしていけばいいかを掘り下げないところにある。

もちろん葵はただの中学生で行政や福祉の人間じゃないし、怪人差別を是正する取り組みができる立場にはそもそもないのだけれど、それでも活動家として差別への考えは深めることができたはずだ。

考えを深めるにも色々あるだろうけど、筆者が必要と感じたのは差別主義者への共感だ。

物語中盤、葵は自分自身が怪人にされてしまうのだがそのことに強い拒否感を示し、その後の戦いでも他の怪人がやっているように怪人態に変身して能力を発揮することを躊躇っている。*1

これによって葵は何かスタンスが変化したのか、何もしていない。9話の演説でも、自身の差別感情を認めつつ差別はダメ、と叫ぶだけで終わっている。

葵は、自分の差別感情を自覚したなら差別する側に寄り添うべきだった。

劇中の怪人差別派は井垣を筆頭にひたすら嫌悪感を煽るように描かれているが、井垣も怪人差別をするきっかけがあったのかもしれない。怪人に家族を殺されたみたいなわかりやすい契機はなくとも、どういう心理で彼は怪人差別を煽っているのか、描こうと思えば描けたのではないか。

差別する側への寄り添いというのはともすれば差別の正当化や維持に傾きかねないが、犯罪に至る背景を知らずに犯罪を減らせるとは思えない、差別も同じことだと思う。

井垣が「あなたの隣りにいるのもひょっとしたら怪人かもしれませんよ」と叫ぶ場面があるが、葵は隣に怪人がいる恐怖に寄り添うべきだった。怪人は人間にない能力を持っているし怪人態の姿も醜い。それが日常に潜んでいる恐怖や嫌悪感を認めるべきだった。

その上で、その差別感情が実際に怪人を害さないようにする、内心で嫌悪感を持っているからと言って害していいことにはならない、人間同士がそうであるように、と差別主義者たちに説くべきだった。

葵は内なる差別を自覚してなお糾弾一辺倒のスタンスを変えないし、そのスタンスのまま手段を暴力、そのために自分よりずっと幼い子供たちに殺人スキルを仕込むという許されない道へと走ってしまった。

政治家を目指すだとか、穏健な道、現実的な手段として差別に立ち向かう選択肢を取れず、極端で幸せになれない道を選んだのは糾弾しかさせてもらえなかった故ではないかと感じる。

 

そして、これはひたすら描写を過激化していくだけでそもそもこの世界における怪人差別のメカニズム、怪人はどんな存在かを作り込んでいないという作品全体のスタンスとも繋がる。被差別層の彼らはそもそもどんな存在なのか、という部分が欠落しているのに差別について建設的な描き方はできないだろう。

仮面ライダーBLACK SUNはもっと差別を派手に、ではなく丁寧に地に足を着けて描くべきだった。仮面ライダーBLACKのリメイクをしつつそんなことやってられないというのならそもそも差別なんてBLACKにない要素をわざわざ持ってくるべきではなかった。そう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:このエピソードも極めて下品だしズレていると思う。女性差別に反対する男は性別適合手術を強制されて嫌がったら本心は女性差別主義者、なのだろうか。自分自身がそうなるか、と不当に扱うことの是非は全く別な話だ。

グレタ・トゥーンベリにステーキを食わせて嘲笑したいと発言した賀東招二のようなメスガキわからせ欲だけが先走ったエピソードではないか。