サンライトノート

主に映画や小説、漫画等の感想を一定量吐き出したい欲を満たすためのブログです。本が出るとかなったら告知もするかもしれません。

オーズってそういう話だったの?/『仮面ライダーOOO10th 復活のコアメダル』感想

オーズ完結編と銘打たれた『復活のコアメダル』をつい2時間ほど前に見てきた。

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この記事では冒頭から映画の結末をネタバレしていくので、事前情報なしで見たい方はここで引き返して欲しい。

【引き返すライン】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【以下ネタバレ】

 

 

 

 

映司死ぬ必要あった!!!!?????

グリード連中の処理が雑とかゴーダも設定は面白いのに活かせてないとか新バースももったいぶった割に見せ場ないのどうなんとか他にも色々あるんだけど、まあそのへんは尺の事情もかなり大きいだろうし、些事だ。

見終わって抱いた一番の感想はそれだし、そのことがタイトルの疑問に繋がっている。

【火野映司は何故死んだのか?】

劇中の死因ではなくメタ的に、どういう意図でこの映画は主人公・火野映司を死なせたのか。

主人公の死という結末はある種の王道とも言える。

たとえば歴史モノなら一つの時代の終わりであり、その後もさらに無数の物語の果てに今日の世界があるというダイナミズムを感じさせる。

罪を犯した主人公の贖罪、救いとしての死もあるし、死に向き合う人間を描く物語ならば主人公自身が死ぬのもおかしくないだろう。

他ならぬOOO本編ももう一人の主人公、アンクの死によって閉じられるが、アンクにとって死は逆説的に生の証明だった。欲望の化身ながら欲望の主体としての生を持たない、その空虚さから抜け出し、自分は生きているという実感が得られたからこそ、その果てに死んでも満足できた。

じゃあ今回、映司の死はOOOの物語に何をもたらしたのか。それがわからなかった。

 

【火野映司は死んではいけない主人公だった】

 

仮面ライダーOOOは欲望がテーマの物語だ。世界を救うという大きな欲望を抱えていた映司が挫折からそれを手放し、アンクとの戦いを通じて取り戻すまでを描いている。

本編がアンクの死で閉じられてよかったのは、アンクの欲望が死によって最も際立つからだろう。翻って、今作での火野映司の死はどうか。彼の欲望は死によって完結するのか。しない。

映司の欲望は絶対に満たされないものであり(世界が完全に平和になるなんてありえない)、彼は生きている限り戦い続けなければいけなかった。死んではいけない。いやもちろんいつかは死ぬのだけど、劇中で戦いの中の死で物語を閉じるのは似合わない。

今作の映司は敵の攻撃から少女を庇って命を落とす。作中では欲望を手放す理由になった悲劇と重ねられ、ようやく映司は救われた、みたいになっているのだけど、それでいいの?

それって本編から何も発展していなくない?

かつて少女を救えずヒーローを辞めた男が今度は救うことに成功し、満足して死んでいく流れは、どうしても贖罪のニュアンスが出てしまう。

贖罪による死で終わるのはマイナスからゼロになる物語だ。本編の映司はプラスになってまた歩みだす様を描かれているし、なのに今作ではゼロに退行して死ぬのだ。

本編後の映司ももちろんその場に居合わせれば我が身を省みず少女を庇うだろうけど、そのことによる死に納得はしないのではないか。どうにかこうにか生き返って、またこの世界の平和のために戦い続けようとするのではないか。果てしなく大きな欲望の持ち主とはそういう人間ではないか。(リアリティライン的にも、今作で映司が色々あった末にやっぱり生還しました、という理屈をつけるのは何ら難しくないだろう)

 

【アンクは何故生き返ったのか】

 

映司の死と同様に、アンクが生き返った意義もよくわからなかった。本編で描かれきった「命が欲しい」という欲望の、その先が見えた気がしないからだ。

本編のアンクの死は、美しくはあったけれど、非常に意地の悪い見方をすれば結局人類とは相容れない彼を体よく始末して終わったとも言えると思う。

今回復活を果たし、依然人類なんかどうでもいいと公言している彼がではこの世界でどう生きていくのか、そこを描くべきだったんじゃないだろうか。

だというのに、1時間弱の尺は当然古代オーズとの戦いや映司とのドラマに費やされ、そこから独立したアンクの生を描いている暇もなく幕を閉じた。

やっぱり人類の敵に回っても別にいい。彼がこの世界で能動的にどうしていくのかが描かれなかったのは、やはり本編からの発展がない。

 

【だからやっぱり死んではいけない】

一度は完結した物語の続編が改めて制作されるケースは間々ある。これぞ真の完結編と言いたくなることもあれば蛇足、やらないで欲しかったと言いたくなることもある。

遊戯王のDSODなんかが前者、プリティーリズムRLはキンプラまではよかったけどSSSの終わり方はまあ後者呼ばわりされても仕方ないと思う。

 

 

OOOと同じく大好きな作品である仮面ライダークウガの小説版もつまらないとは言わないが悲しいことに後者で、ああいった形で「完結」してしまうというのは本編もなんだかまともに見られなくなるところがあった。

しかし、それらの作品はまだギリギリ、本当に素晴らしい真の完結編が改めて作られる可能性は、ないに等しくとも残っている。

しかし、仮面ライダーOOOに、いや火野映司にそれはない。

死んだからだ。

たとえ今後スピンオフで仮面ライダーバース仮面ライダーアンクが制作されたとしても、一ファンから見て不本意に、こじんまりと完結してしまった火野映司という人間にこの先はない。

そう思うと、マンネリでもオワコン呼ばわりされても、キャラクターが生き続けている作品はそれだけでまだ救いがある気がする。

生きているというのは可能性があるということだ。

火野映司は死んではいけなかったのだ。

 

 

 

 

 

……やっぱり今後の映画で生き返りましたとか平行世界の映司が登場とか絶対ないとは言い切れないのは果たして救いと言っていいのだろうか。